以下から転載します。

「京の警察官に九州男児が多い」ワケ

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/journalist/report/kyushu.html

〈転載開始〉

Kyoto Shimbun 1998.6.12 気になるリポート

「京の警察官に九州男児が多い」ワケ

京都府南部の市町を担当し、時折地元の警察署にも顔を出していて、気付いた。警察官には九州男児が多い。それぞれの署担当の若手記者も異口同音に「確かに多い。おおげさに言えば、半分ぐらいは九州出身とちゃいますか」。いつもは反論ばかりしあっているのに意見があい、実態やどうしてなのかを調べてみた。

(南部支社 坂本真一)

ちょうど4人に1

京都府警本部で確かめた。全警察官約6千人のうち、25%の約1500人が九州出身で、実感よりは少なかった。都道府県別では、京都府が51%余でトップ。以下、熊本県、福岡県、大阪府、鹿児島県、大分県、滋賀県、宮崎県などと続き、近畿を除けば九州各県が上位を占めていた。府警本部の採用担当者によると、昨年の採用者のほとんどは府内と近隣府県の出身者で、九州は多くはなかったという。田辺署の川北誉司副署長(57)は「若い署員は少ないかもしれない。しかし、私らが受験したころは府内、九州、その他が3分の1ずつだった」という。

地元に枠少なく 京都にあこがれ 明治からの伝統?

就職先 かつては修学旅行で訪れて西南戦争後に急増

府警の採用試験は、府内だけでなく、石川、福井、山口、福岡、熊本各県でも実施している。府外での試験は勤務地を地元警察以外にも希望することができ、地元警察の採用枠が少ない事もあって、京都などへ出てきた人が多かったようだ。採用担当者は「あくまで優秀な人材の確保に努めており、出身県で優遇することはない」と断言したうえで、なぜ九州男児が多いのかは「調査したことはありません」。 本部の内田憲幸総務部長(58)も熊本県出身だ。「地元での就職は、大学を出て教師になるか、役場、郵便局、国鉄ぐらいしかなかった。それも採用数はごくわずか」と振り返り、日本史が好きな内田部長は「太秦の牛祭を使った京都府警のポスターを見て、国宝第1(広隆寺・弥勒菩薩像)のある所で勤務したい」と、受験したそうだ。比較的若い田辺署刑事課の江河和彦係長(39)は福岡県出身で「骨とうや民芸品を集めていたし、修学旅行でも来た。大阪のような大都会でなく自然が残っているというイメージがあった」という。京都はやはり、あこがれの地らしい。 九州男児はどうして警察官になるのだろうか。立命館大の山崎有恒文学部助教授(近代日本政治史)がおもしろい資料を提供してくれた。西南戦争のあった1877(明治10)年を境に、当時の警視庁に鹿児島県人が爆発的に増えていた。山崎助教授によると「西郷隆盛が反乱した時、同じ鹿児島出身で警視庁を創設した川路利良が巡査旅団を率いて政府軍に加わり、勝利に貢献した。西郷の反乱で鹿児島の人は公務員になりにくくなったが、唯一警察だけが引け目なく採用された」という。数年後には京都でも鹿児島県人の警察官が急増していた。

頑固、強い使命感

「向いているの声」

京都熊本県人会会長で京都九州地方各県人会連絡協議会会長の藤本忠雄さん(64)は「九州男児は気骨がある。特に熊本県人は『もっこす』といって、頑固で強気。警察官や自衛官に向いている」という。事実、熊本県人会員の3割が警察官で職業別のダントツ。さらに、藤本さんは「熊本藩主だった細川家は、京都(長岡京、宮津)から福岡、熊本へと移ってきた。昔から京都と熊本は縁が深い」としみじみ。そんなこんなで、京都に九州男児の警察官が多くなったのだろう。そう言えば、京田辺市の月読神社に復活した「隼人舞」は、現代風に言えば鹿児

島県人による神々へ奉納する舞いで、古事記、日本書紀に由来する。今では地元の中学生たちが、剣や弓矢を手に狩衣を着て舞う。隼人は太古の昔、この地に移り住んで、古代の宮城の警護にあっていたとされる。

京都に警察官が多いワケを考えていて、古事記の世界にまでさかのぼってしまった。

〈転載終了〉

鹿児島のクズたち(鹿児島の一部の人たちだけだと思いますが)が大勢来たということなんでしょうね。

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