以下は、「匠雅音の家族についてのブックレビュー」からの転載です。

〈転載開始〉

戸籍がつくる差別-女性・民族・部落、そして「私生児」差別を知っていますか|佐藤文明

http://www.rin-5.net/501-750/511-koseki_sabetsu.htm

著者:佐藤文明(さとう ぶんめい)  現代書館 1984年  ¥1600-

著者の略歴- 1948年、東京に生まれる。自治体職員を経て、フリーのジャーナリスト。著者の『戸籍』(現代書館)はベストセラー。共著には『東京闇市興亡史』(草風社)『ひとさし指の自由』(社会評論社)など多数。本書関連の共著に『男と子育て-現代子育て考 Ⅳ』(現代書館)『いのちのレボート1980-やさしいかくめいシり-ズ2』(プラザード出版)『訣婚パスポート』(現代書館)がある。
HP http://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/  E-Mail bumsat@muf.biglobe.ne.jp


25年前に出版された本だが、この本にも、ずいぶんとお世話になった。
男女の結びつきは、結婚という制度が保証するものでもないし、戸籍がなければ人間がいないわけでもない。
本書の内容には、ほぼ全面的に賛成である。

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戸籍がつくる差別:新装版

戸籍制度の前身は、人別帳とか宗門帳とかいわれるが、現在の戸籍制度は明治になって作られたものだ。
しかも、徴税と徴兵のための、基本台帳として。
そのため、国民を管理する目的だった。
それが、いまでは戸籍にのっていることが、日本人の証であるかのように思われている。

結婚するにしても、戸籍上の結婚届をだすのが当然になってしまった。
近親者たちに男女のつながりを認知してもらうことより、結婚によって同一戸籍をつくることのほうが、重要視されている。
戸籍上どうであろうとも、実体としての人間関係は存在するのに、あたかも戸籍が人間を決めるようだ。
制度と人間が転倒している。

戸籍制度を支えるメンタリティは、いまや国民の資質になっているのだろうか。
すでに成人した子供でも不祥事をおこすと、親がでていって頭を下げる。
武士は15歳で大人扱いされていたというのに、こんな幼稚な精神構造は、一体いつから始まったのだろうか。

ロッド空港事件のとき、日本政府は閑係諸国に頭を下げるため、特使(三木)を派遣した。海外のマスコミは これに仰天。日本は今でも一億一心、と神風の恐怖を訴えた。岡本耕三はパレスチナ・ゲリラであって、日本国の臍のうをひきずって海外侵略をやっているわけ ではない。彼の裁きはイスラエル固有の法規で行なわれる。日本政府がシャシャリ出る幕なんかではないのだ。
岡本の父親を引っぱり出しては、日本国民に謝罪させるマスコミ。あれとおなじことを政府が外国でやらかした。それをおかしいと思わない意識こそが諸外国から見れば脅威なのだ。P84

父性愛にあふれた我が国の政府は、国民を隅々まで知っていなければ、心配で心配で仕方ないようだ。
そのために、出自から続柄まで、逐一国民に報告させる。
一個の成人を、自立した1人格と認めていないのだ。
そして、国民もそれが当然だと思っている。
いくつになっても、親が引きづり出され、親子の喧嘩は理由もなしに親が正しいとされる。
こうしたメンタリティが、戸籍制度を支えているのだ。

 

〈転載終了〉

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